小説 多田先生半生記

20.また 入学試験


 二月ともなるとマスコミは一斉に冬と春の架け橋の感を呈する各大学の入学試験の場景を取り上げる。

 「ああ、嫌だ、嫌だ!入試なんてなきゃいいのになぁ…」その新聞記事が目に入った私は顔を顰(しか)めた。明日からの入学試験を思うと気が塞ぐ。晩酌は終わっていてソファーに体を横たえていたのだが、飲み足りない心持がしてウイスキーを飲むことにした。

「ロックですか?それとも水割りにしますか?」

「水割りにする」

康子は水と氷を調えて水割り用のグラスをガラス張りの応接テーブルに運んできた。私が独り身の頃に使っていた食器類は悉く学生に分け与えていて、侘しかった日々の欠片(かけら)はどこにもない、康子はとりわけグラスへの思い入れが深く、全てのグラスの類は何年も前から選り好みの物を見つけては買い入れて大切に仕舞い込んでいた品だった。母親が嫁に出すにあたって買ったものではない。いわば康子の宝物でもあるそのグラスを振ると、中の氷とグラスが触れ合って、澄んだ音が軽やかに醸し出された。その音色に私は初めて気が付いた。

「いい音がするね。初めて聞いたな、こんないい音」

「クリスタルだからでしょ」

「クリスタルだから?どうして?」

「クリスタルグラスにはナマリが入っているのよ」

「ナマリって、ズーズー弁の仙台訛みたいな?」

「まさか!酸化鉛よ。理科の時間に教わったでしょ」

「ふ〜ん」

よく判らないが、そんなものらしい。成る程と思いながらも、私はいかにも憂鬱だという顔をして一口飲んだ。

 「城南は明日から?」キッチンに立ちながら康子が聞いた。

 「うん」私は沈んだ声で答えて又グラスを傾けた。

 「何日間あるの?」

 「四日間あるけど、試験監督は最初の三日間だけ。それにしても嫌だなぁ」私はグラスを手にして半分くらいに減ったウイスキーの量を悲しむかのようにじっとグラスを見つめた。

 「そう、三日間しかないの?四日間だったらいいのにね」 

 「冗談じゃないよ!あんなの四日もやってられるか!」私は残りのウイスキーを一息に飲んだ。あまり勢いよくグラスを傾けたので氷が前歯にぶつかった。

 「別にあなたが試験受ける訳じゃないんだし、そんなに嫌がることないでしょ。それで、明日は何時に出掛けるの?」

 「10時から始まるから9時頃には出ようかな?ああ、それにしても嫌だな入試なんて」

 「別にあなたが気に病むことないでしょう。あなたより受験生の方が可哀想よ」康子は笑いながらそう言った。

 「受験生は別に可哀想なんてことないよ。よく受験地獄なんて云われてるけどさ、地獄なんかじゃないよ。一つの目標を持って、ある一時期の間それに全てを賭ける。青春時代の一区切りだよ。目標に向かって緊張感を持ち続けて、しんどい努力を体験するなんて素晴らしい青春の一ページだよ。それこそ若さの証さ。何もそれが大学受験でなくたって構わないけどね。大野だってそう思わなかったら京大を受けるなんて考えないで、のんべんだらりと城南を卒業するところだったんだぜ」私はアルコールが入ると舌が滑らかになる。康子はニヤニヤしながら聞いていた。「連中、つまり、受験生ですな」急に調子が改まった。かなり酔ってきている証拠である。「受験生からすれば受験は難関そのものであるには違いないけれど、それまでの努力の総決算の時ですから、入試そのものは苦痛にはならないのです。むしろ、緊張が極めつけられるのだから、ラストスパートがかかって、勢いがあるし、ホームストレッチにかかっているわけで、今はもう只ひたすらゴール目がけて走っているみたいなものです。競馬でいえば鞭が入ったところだな」

 話が妙な方向に向かっている。

「受験生を競馬の馬に譬えちゃ可哀想よ」また康子は笑っている。

 「馬じゃない。騎手だ。いや、やっぱり馬かな?」私は更にウイスキーを飲んだ。グラスが空になった。

「お弁当だって出るんでしょ。四日目はお昼だけ行ったら?」チーズを海苔で巻いて作ったつまみを運んできた康子が悪戯っぽく言った。

 「弁当か。それもいいかな?」私は氷を三つほど摘まんでグラスに落としてウイスキーを注いだ。今度は水抜きだ。「いや、駄目だ!去年、それで失敗したんだ」下宿にいても昼飯は出ないので何食わぬ顔をして昼に監督控室に行ったのだが、事務員から「あら?先生は今日も監督のあったとですか?」と聞かれた私は「いや、高来先生はいないようですね」と誤魔化して逃げ帰ったことがあった。

 「あなた、本当にそんな事したの?ばっかねぇ」康子は呆れた顔をしている。私は半分ほどウイスキーを飲んで、慌ててウイスキーを並々と注いだ。ちょうど康子がスティックサラダを作ろうと、キッチンに立ったからである。私の口には氷が一かけら入っている。それだけウイスキーがグラスに入るという涙ぐましい計算があった。試験科目は英語の他に社会科と国語だけだが、学部ごとに試験が行われるために四日間の日程になっている。昨年はひたすら康子との日々を思い出したり、また会える日に思いを馳せていたので全く苦痛にはならなかった。むしろ楽しいひと時だった。今年は絶対に退屈するだろうと思う。いっその事、入学試験なんぞ廃止してしまうに限るとも考えた。結婚した今、昼の弁当なぞ要らない。しかし、突き詰めて思うに入試が廃止されるとそれに伴う入試手当が支給されない。康子にはまだ言ってはいないが、矢張りそれは困る。臨時の収入は有難いことこの上ない。注ぎ足したウイスキーを飲みほして私は早々と寝ることにした。

 「明日は早いから今夜はもう寝る」

 「呑むのはもうお仕舞?寝るの?さっきソファーで寝ていたんじゃない?」

 「あれは考え事をしてたんだ!」

 康子は私が考え事をするときには大きな鼾をかくのが癖だと云いたくなるのをぐっと抑えた。

 翌朝、寝過ぎたために腫れあがった目をこすりながら大学に出掛けた。

「多田先生、寝不足のようですね」監督控室で英語学の白木原和美教授が声を掛けてきた。白木原はLL委員長をしていて、私は昨年の四月から太宰と同じく図書館委員の他にLL委員も仰せつかっていたので折々開かれる会議で顔を合わす。キリスト教学を担当している教授も同じ姓である。キリスト教学やドイツ語、中国語などを担当する教員は文学部には所属しているものの、教養課程だけを担当する私たちは全学の教授会以外では文学部の教員と会議を同じくすることはない。同じ名前の人物がいるものと感心していたが、いつかこの二人が夫婦であることを高来から聞いたことがあった。同じキリスト教学の教授も中国語を担当している教授の娘婿という義理の親子関係の人物もいた。

「ちょっと調べることがありまして、つい夜更かしをしてしまいました」私は口から出まかせを言った。

今年は二年目ということもあって、試験監督は私と補助の学生の二人きりだった。一時限目は英語である。私が横長の試験問題を三つ折りにして配り、補助の学生は解答用紙をその上に置く。それが終えたら後は何もすることがない。ただぼんやりと開始のベルが鳴るのを待つだけである。補助の学生は受験票の写真と受験生の顔を照合しているから感じることはないだろうが、じっと受験生の顔を眺めまわすだけの私にはこの時の雰囲気は何とも気詰まりでならない。受験生の方も緊張している。ここで落語を一席ぶつわけにもいかない。じりじりとした時間が過ぎてゆく。やがてベルが鳴った。受験生が一斉に試験問題を広げるかさこそとした音が教室中に響き渡った。ここからが正念場である。康子を思い浮かべようにも毎日顔を会わしているのだから新鮮さはない。と、その時、掌(てのひら)でぼんやりと顎を撫でていた私は心の中でほくそ笑んだ。今朝の髭剃りで髭が顎の左右に二本だけ剃り落とされずにいたのだ。爪を切ってもらったのが昨日でなかったことを私は康子に感謝した。結婚する以前から康子は私の爪を切ってくれていた。今は亡き父親の爪を切るのは母親の務めであったようで、康子は何の躊躇いもなく私の手と足の爪を切ってくれていた。康子は自分の爪切りがとても素晴らしい出来合いのもので、ヤスリが要らないと自慢したことがあった。私は爪切りの形状を想像した。刃がギザギザになっているのかとも思ったが、それでは爪の切り口は凸凹になってしまいそうだ。実際に爪を切ってもらって、その爪切りは切れ味が善いということがやっと分かった。その爪が適度に伸びていたのである。左手の親指を除く四本の指を顎にあてて、改めて剃り残しの髭を弄(まさぐ)った。中指と薬指で顎の皮を伸ばしたまま、親指と人差し指の爪で剃り残した髭を抜くのである。これが簡単なようでありながらも技術と暇を要する。私は夢中になった。仕事に没頭している顔付きはかくも凛々しいものだろうというような、譬えようもないほどの充実感に溢れたが、そんな私の仕草をつぶさに見呆けている受験生がいたりしたら落第は免れない。かくして一時限目の英語の試験は無事に終わった。 

二時限目は国語だった。顎はさっぱりと、つるつるしているので退屈この上ない。今年も採点は国語の班に張り付くことになっている。教壇のテーブルを前にして坐ったまま試験問題に取り掛かってみた。受験生の事も忘れて私は力いっぱい解答を試みたが、私が不合格になることは確実のように思われた。宛がわれた弁当を食べてから三時限目は社会科の試験だ。弁当を遣ったせいもあって瞼が弛んできた。がくんと頭が前のめりになって目が覚める。とろんとした目つきで受験生を見渡した。こんな調子なのだから前の晩にあれほど悩む必要もなかったと思う。そのうちに遠い世界から呼ぶような小さな声が聞こえてきた。補助の学生が教壇に上がってきて耳元で囁いていた。

 「先生、あそこの女子の受験生が気分の悪い云いよります」

 私は指示された受験生の許に静かに歩みを進めた。

 「どうしたんですか?」

私は小声で聞いた。その女子学生は鉛筆を置いて怪訝な顔で私を見上げている。補助の学生が慌てて私に言った。

「先生、具合の悪かとは後ろの子です」

具合の悪いその女子学生は補助の学生に付き添われて教室を出ていった。外では救護班の学生が待機している。その女子学生は保健室に行って手当をしてもらったようで、直ぐに戻ってきた。他の受験生はそれぞれに自分の答案に専念している。私は眠気も吹き飛んでしまい、ぽつねんと教壇の椅子に座って受験生を見渡した。学生の所作は様々だった。背筋をぴんと張って懸命に解答を書き込んでいる者がいるかと思えば、中には天井に顔を向けてひたすら考え込んでいる者もいる。思いっきり首を伸ばしてはこぼれんばかりに目を?いて、前の受験生の肩越しに答案を覗こうとする受験生すらいる。そのうち妙な仕草の受験生が私の目に留まった。私が顔をその受験生に向けると当人も私の顔を見る。私が余所を見ていると、手元を見てはせっせと書き込んでいる。私はつい先日、黒縁のメガネをメタルフレームに変えていた。これにより以前よりも視野が広くなっているので、少しばかり顔をそむけてもその受験生の動きは視界に入る。さっと顔を元に移すと、受験生の顔はいきなり天井に向けられた。実に素早い。うっかりするとむち打ち症になるのではいかと心配させられるほどだ。その受験生から目を離さずにいると、相手も私をじっと見ている。明らかに「絶対にカンニングしてやるぞ!」と挑戦しているように思えた。後ろの方で手を上げている学生がいた。私はそちらへ歩いて行った。設問に対する簡単な疑問だった。先の受験生がこの機を逃す筈はない。私がそこに戻って来た時にはうっすらと微笑みさえ浮かべていた。私が敢えて今一度後ろに歩を進めたところで受験生に油断が生じた。滑るようにしてその受験生の背後に立った私は受験生に声を掛けた。

「ちょっと、そのハンカチを見せて下さい」

受験生の顔から血の気が引いた。

「もう、いいです」

「よくはない。見せなさい!」

声は低いが語気は鋭い。受験生が握りしめようとしたハンカチを取り上げた。折り畳んだハンカチの間に幾重にも重なったトレーシングペーパーにはぎっしりと細かい文字が書かれていた。それも年代順にきちんと分けられていた。実に用意周到な歴史のカンニングペーパーだと感心させられた。暫くしたらその受験生は私の静止もきかず試験室を出て行ってしまった。私は入試委員会にこの経過を報告した。その後の二日間は特段、居眠りをして椅子から転げ落ちることもなく、私は試験監督の仕事を果たした。

入試が終われば試験の採点だ。去年は大学のすぐ裏手に下宿していたのでなかったことだが、今回は距離があるので有難いことにタクシー券が配布された。いつもは歩いて出校しているというのに、この日ばかりはタクシーを呼び寄せての出勤となる。康子が階段を降りてきて「行ってらっしゃいませ」と見送ってくれた。私は偉くなったような気がして、座席にふんぞり返った。慣わし通り採点の間は昼も夜も食事が供される。昼は宛がわれた弁当を食べたが、夕飯は我慢した。康子の手料理を食べてからというもの、大学で出される食事は口に合わなくなった。会議の時間が夜にずれ込めば、矢張り夕食が供される。全体の教授会では海苔巻といなり寿司の折詰めが定番だが、その他の小さな会議では構成員の所望によって様々な出前が届けられた。私はそれらを悉く断って独りお茶ばかり飲んでいる。贅沢この上ないし、他のメンバーからすれば嫌味な振る舞いとしか映らない。国語の採点にあたっては昨年の議論に閉口した小田部は当該の二人の教員を採点のメンバーから外していた。中川が新たに加わった。採点の最終日の前日に高来が寄ってきた。

「明日、採点が終わったら飲み会ですけん、先生、空けておいてください」

「飲み会となれば喜んでいきますけど…?」ただ飲みに行こうという誘いではないようだ。

「ほら、中川先生を励ます会ですたい」

私はその意味が呑み込めなかったが、高木はそれ以上語ろうとはしなかった。有耶無耶のうちに採点の最終日となった。会場は予め決められていた。高架となっている大牟田線の天神駅のすぐ近くのガード下に幾つもの飲み屋が並んでいる。その一角に苅田が贔屓にしている小料理屋があった。そこのママさんは少し前まで中州のバーのホステスだった。そのバーで私も何度か苅田にご馳走になったことがある。苅田はそのママさんが新しく始めた小料理屋を「ガード下」と揶揄していた。そのママさんは年配ではあるが、和服の似合う楚々とした美しさを湛えている。小さな店だが、奥に和室がある。今夜はいつものメンバーの他に、時に一緒に飲むこともある商学部の宮地も加わっている。宮路も塔原の後輩筋の男だ。

「もう少ししたら学長も来るばってん、まずは乾杯の練習ばしとこうかいね」塔原が音頭をとった。学長は私の結婚式に祝電を送ってくれたが、直々に飲むのはこれが初めてのことだった。

 「多田さん、あんた入学試験でカンニング見つけたってな。城南開闢以来の出来事ばい」苅田が言った。

 「そげんだってな。あんた受験生のカンニングなんと、よう見つけよったね」塔原が同調している。

 「そりゃ、な!多田やん、嫁はんが来てからは張り切りようもんな」太宰が言った。「それにな、おまはん、今年になってからは図書館委員会の会議の時もそやけど、採点でも夕飯はよぉ食わんと、わてら置いてそそくさと帰ってしまいよるやないかい!はよ帰って嫁はんと乳繰りおぉとんのと、ちゃうか?」

 「多田君はね、今では僕にもお見限りなんですよ。団地の中の気温がぐんぐん上がるばっかりですよ」中川までも燥(はしゃ)いでいる。

 「ところで中川さんよ、今夜はあんたを励ます会ってなっとるんよ」苅田が中川に鉾先を切り替えた。「中川先生を励ます会」なるこの飲み会の発端が私にはまだ覚束なかった。

 「いや、恐縮です。このようなお心遣いをいただきまして」中川は居住まいを正した。そこに学長の多賀が遣って来た。

 「お待たせしました。入試委員会の先生方とお話し合いを持っていたものですから、遅くなってしまいました」

 「学長!よぉお出でて下さったとですな。学長は忙しゅうしてる思ぉとったばってん、やっぱり今夜はどげんしても来てもらわな、いかんちゅうことになりましてな。もうこの高来のアホがくさ、はよ、呑もう云うてきかんですけん、ちょこっと飲みよったとですばい」塔原は高木を犠牲にした。

「ママさん、ビールば持ってきちゃらんね」苅田が催促した。

「まずは学長の方から一言ご挨拶ば貰うことにしようかいね」塔原が仕切っている。

「中川先生、今回は本当によ〜く思い留まってくれました。先生の将来を思えば本学にお引き留めしてはいけないかとも思ったのですが、やはり、中川先生には今後も城南の発展のためにご活躍いただきたく、ご無理を承知でお願いした次第です。先生がいらっしゃらなくては今後の新たな課程の構想もしぼんでしまうことになりかねません。本当に有難うございます。今後ともどうぞ宜しくお願い致します」

どうやら中川は転出を考えていたようだった。私は全く知らずにいた。

「そやで、すんでのところでドイツ語は多田さんと平尾さんの二人になってしまうところやったけんね。平尾さんかて、もう歳やもんな」苅田が言った。

「いや、皆さんにはとんだご心配をおかけしました。僕は決して城南が嫌になったわけではありませんで、たまたま先輩の方からお声がかかりましたので、九大の方に転出しようかと思っただけのことです」

「そげんにしてもな、九大は城南のこつ纏まってはおらんで」宮地が訳知り顔にそう言った。「あそこはな、九大の卒業生がごそっとおってな、他の教員かて殆どが帝大系じゃけん、私学出のもんは肩身の狭い思いをさせられよっちゃ。よかったぜ、あんた九大なんぞ行かんで。あげな所に行きよったら、あんたぼろぼろに壊されて、お仕舞や」どうも神戸大学の卒業生には九州大学は天敵のような口振りだ。

この晩はお喋りの太宰はもとより高木も私も口を挟む余地は全くなかった。延々と中川が城南に留まったことへの賛辞が続きそうな気配だったが、途中で苅田が話題を転じた。

「ところで学長、今年の入試手当はどげんなりそうですかいな?」

「今年は去年よりの受験者数が多かったので、入試のお手当の方も嵩上げ出来そうです」 

「そげんですな。いや、博多大学はマンモス校じゃろうもん。あっちの方じゃ、入試手当云うたら、ワシらより桁違いに貰いよるって聞いとりますがのぉ。そうたいね、塔原さん」

 「苅田の云う通りたい。そげんこつあるって俺も聞きよるばい」

 「あちらは受験生の数が多いですから、その分、入試手当も嵩むことになりますけど、比率から云いますと本学と同じです」学長はこう言い訳をした。

 「ワシんところの母ちゃんはな、どこから聞いてきよったか、博多大学では入試手当ってあるようですけど、城南では出よらんですか、って云いよったんよ。だからな、ワシ、云うてやったと。城南こつ貧乏大学でそげん金どこからも出しきらんってな」夜になると折々私ら若手を引き連れては中州を飲み歩いている苅田が言った。

 後日、入試手当が出た。私は封を切らずに康子に手渡した。私の限られた給料で糊口を凌いでいる康子に少しなりともゆったりとした気持ちを味あわせてやりたいと思ったのだった。

 「何、これ?まだお給料日じゃないでしょ」

 「実はね、話していなかったけど入試の試験監督と採点をしたから、そのご褒美なんだ。ま、春のボーナスみたいなもんだな」

 「うわぁ、嬉しい!何に使おうかな?ビール買ってきましょうか?」

 「そんなのはいつだって呑んでるからいいよ。それよりもさ、一度、仙台に顔を出したらどうだ?そろそろ行きたいだろ」

 「本当に行って来てももいいの?」

 「ゆっくり骨休めしておいで。どうせ、俺も春休みだし、暫くの間は留守番してるよ。お母さんに電話してあげようか?」

 電話の向こうで母親は驚いていた。追い返される事になったと勘違いしたようだった。続いて電話のベルが鳴った。康子が受話器を取り上げた。

 「あら、久弥さん?どうしたの?」

 康子は受話器を私に渡した。電話口で大野は泣いている。

 「どうした?京大、駄目だったのか?」

 大野は嬉し泣きをしていたのだった。京都で受験を終えた後、大阪の叔父さんの家に寝泊まりしながら発表を待っていたのだ。この一年、時には私と息抜きをしながらも、その努力が報われた。私も咽び泣いた。

 康子が仙台に旅立ったその日に大野が入れ替わりに博多に帰ってきた。私は大野を天神の「ガード下」へと連れて行った。

 「まずはビールで乾杯しよう」

 「いただきます。先生、僕、ほんとに嬉しいです」

 「よかったな。本当によく頑張った」

私達は嬉しくて何杯もビールを飲んだ。この店は渡辺通りにある海鮮市場に隣接していることもあり、玄海灘の新鮮な魚はもとより、がめ煮と呼ばれる鶏肉と蓮根や筍などの野菜を煮込んだ料理そしておから煮も卓越した味わいである。

 カウンターにはそれらの料理が並んでいる。その下のガラスのケースに旨そうなヒラメがある。板前さんに一喉(いっこん)刺身に捌いてもらった。縁側も綺麗に造ってくれた。続いて幾つかの煮物を食べたところで小さな里芋が目に入った。皮をつけたまま茹でてあるようだ。注文してみた。皮を親指と人差し指で摘まむと、白い中身がコロンと皿に落ちる。それに塩をつけて食べてみた。同じように大野も頬張っている。このあたりで日本酒に切り替えた。

 「先生、流石に京都大学はリベラルなところですよ。僕は受験しただけでそう感じよりました」

 「受験で?どんな校風なんだ?」

 「試験官は法学部の教授でした。試験の時って試験問題を配り終えると、監督の方も何もすることないじゃないですか」

 「そうなんだよな。あの時間帯の雰囲気って、重苦しくてさ、こっちとしてもいたたまれないよ。開始のベルを鳴らすの忘れてるんじゃないかと思えるくらい長いんだよな」

 「それがですね、京大の教授が面白い人でした。初めに色んな注意点を話すじゃないですか」

 「そうだな」

「その試験監督はあんまり背が大きくはなかったとです」

 「俺位か?」

 「ま、そんなとこでしょうかね。いや、それはどうでもいいんです。マイク使おうとしたんですけど、マイクの位置が高くてですね。それでスタンドを縮めようとしたんですけどネジが固かったのか、どうにもならんようでした、それで今度はマイクを外そうとしたんですけど、スタンドからそのマイクがどうしても抜けなかったんです」

 「そういう事って、よくあるよな」

 「そしたら、その先生、スタンドマイクを斜めにしよったです。『なんだか、プレスリーみたいな恰好になってしまいましたが…』なんて云ったんです。僕ら受験生はその突拍子もない仕草と話ぶりでどっと笑ったんです」

 「一瞬、緊張が解けたってわけだな」

 「それだけじゃなかとです。試験問題を配り終わった後ですね、『トイレに行きたい人は今のうちに行って下さい』って云うてですね。でも、誰も席を立たんかったです。またどんよりと重苦しい雰囲気になりよったです。そしたらですね、その先生おもむろに『まだ、時間があるようだから私がアメリカに留学した時の経験談を紹介しましょう。私はアメリカ行政法が専門なんです』って云ってですね…」大野は思い出し笑いをしている。

 「それで、どうした?」

 「いや、その先生、実に真面目な顔をしてですね、『トイレで私達、日本人は用足しが終わると、こうして振りますが、アメリカの連中はしごくんですな』って手を動かしながら云ったんですよ。男の連中は大笑いしよりましたが、女の子はですね、下を向いて笑いを堪えよりました。他の帝大では考えられない事ですよ。よし、僕は絶対に京大に合格するぞって思いました」

 「確かに俺たちは振るな。こうやって」私も身振りを交えて応えたところでカウンター越しのママさんが吹き出した。

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